ピアノを習うときにこのようなことをよく言われます。
「指を強くしましょう」
「手のひらは卵やボールをつかむような形にしましょう」
「手首はやわらかく、肘や腕は落とさないようにしましょう」
などなど微細に渡る注意を払ってきますが、そのことの本質と具体策をより深く考えたく思っていました。
そして自分も生徒もそのことをよりわかりやすく、効果的に実践できる方法はないものかと色々と試みてきました。楽器の側からも考えを進めることによって、演奏における自由度を広げようとも考えています。
レッスンでは最初歩から成長に応じて腕や指のことと音楽や楽器をより深く結びつけることに取り組んでいくのですが、それに於いて多くの経験を経てようやく最近、自分が考えたり試行錯誤してきたことに一本の道が見えてきました。果てしないけれど力強く歩める道だと思います。
楽器から学ぶ
幸いにもチェンバロやオルガンやフォルテピアノなどと深く関わることができて、その上でピアノを考えられる環境にいます。鍵盤の見た目はどの楽器においても所謂「白鍵」と「黒鍵」が並んでいることに違いはないのですが、発音機構には各楽器で見た目から想像をはるかに超えた大きな違いがあるために、それぞれのテクニックが必要になります。
特にチェンバロからフォルテピアノに移行したとき、フォルテピアノからモダンピアノに発展してきたときには、新しい楽器へ対応する必要がありました。そのため多くのメソードが書かれ、楽器を扱うためのマニュアル的な練習方法が開発されてきました。それが最良かどうかはともかく、テュルク、クラーマー、クレメンティ、ツェルニー、リストなどなどあげたらきりがない先人たちが練習方法と奏法を考案してきたのです。
いくつかのメソードに従ってフォルテピアノを練習してからモダンピアノに行きついてみると、腕や体の使い方の違いに本当に驚かされます。
言葉としては「昔は腕を使わなかった」とか「ベートーヴェン中期で腕を動かし始めた」とか子供の頃から聴いたことではありますが、「こういうことだったのかぁ」という実感は歴史的な楽器を経験したおかげでつかめたものです。そのことを少しでも分かりやすく多くの方に伝えていけたらと思っています。
ハンマーが鳴らしダンパーが止める
ピアノは「鍵盤」に加えた力が「中間レバー」を突き上げ、とても大事な「エスケープメント」という部分などを経て「ハンマー」というものに伝えられます。合理的な仕組みによってハンマーは跳ね飛んで行き「弦」に当たります。弦はハンマーが当たったことによって振動して音が鳴ります。ハンマーはすばやく元の位置にもどります。
指が鍵盤から離れて力を加えなくなると、「ダンパー」というものが振動して鳴っている弦を押さえ込んで強制的に振動を止めます。それで音が止まります。
(メカニックについては今後詳しく解説する機会があると思います)
ピアノは円運動
鍵盤から弦に至るまでの力の伝わり方を考えると、例えばチェンバロは、弦をはじく瞬間は爪が垂直方向から弦に触れていきます。それが引っかかってはじけてまた下がってくるという発音動作を支えているジャックは上下に動くので円運動ではありません。
いかに強力に力を加えていくかというものではなく、爪が弦をはじく瞬間をいかにデリケートに指が感じるかということのほうが重大事だと思われます。
ところが、ピアノは鍵盤から弦までのほぼ全てが円運動をしており、ハンマーをどのような勢いで跳ね上げるかを力加減とスピードで調節しているのです。
少し横道にそれますが、私はこの指の感じ方を通じて、フォルテピアノの中期頃に楽器と奏者の立場が入れ替わったようだと感じています。それは錯覚なのかもしれません。やはり楽器から受けるものは大きいに違いないし、楽器を感じながら弾くことは確かにあるのです。でも楽器からのベクトルの一部が、奏者側からのベクトルに取って変わった部分が存在していると思わずにはいられませんし、そう思うことが錯覚なのだとしたら、そのような錯覚を起こさせる楽器に変化あるいは進化して来たと言えるのではないでしょうか。
ここは小さいようでいてかなり重要な問題です。モダンピアノを弾く人の多くにこの錯覚があって、「つもり」や「夢」というようなものが大きくなりすぎることがあるのです。音はもちろん聴こえていても「つもり」によって耳が慣らされてしまい、奏者には主体的な思い込みによって矯正された音が聴こえてしまうというような状態です。吾が身も含めて自嘲したい点です。
円運動に話しを戻しましょう。ピアノの中身、つまりメカニック部分は円運動でありますから、そこに力を加える腕から指などの一連の動きも円運動を意識した動きをするべきだと思います。鍵盤にぶつかるでもなく叩くでもなく円運動の一部として力を加えられる動きとはどんなものでしょうか。肩甲骨から肩、腕、ひじ、手首、てのひら、指のそれぞれの関節、指先に至る動きと力の入れ方を繰り返し確認して考えていくべきです。
レッスンの際には、それが「音楽をしたい」気持ちを自由に解放する鍵だと思って試みています。また、日本人特有の体の動きというものにも注目しています。指については、鍵盤に与える勢いとスピード、離すときの音の止まり具合と次の音への移行にデリケートな注意力を要します。総合した動きと試行によって各人が持つ「音楽」が空間へと解放されていきます。
個々の部位の動きは、私の拙い文章能力ではとても表しきれませんが、腕全体としては大きな車輪をイメージして(あくまでもイメージです)動かして頂けたら、音楽に一つの風を吹き込んでいけると思います。