山川節子(Yamakawa Setsuko) ピアノ、各種鍵盤楽器
ソロ、アンサンブルなどで幅広くユニークな演奏活動を行い、コンサートの企画・演出も手掛ける。ピアノ演奏の基礎を故・井口愛子氏に学び、ほかに作曲、アンサンブルなどの分野で多くの良き指導者に出会いながら10代で個性豊かな活動を開始。後に、ピアノ指導法と演奏について情熱あふれる指導者である武田宏子氏のもとで研鑽を積み、全日本ピアノ指導者協会会員として後進も指導。1988年より2000年まで「子供のためのトークコンサート」を各地で開催。長年に渡って鍵盤楽器奏者・武久源造氏に協力し、多様な音楽シーンの製作およびCD製作などに関わる。同時に、氏から多くの示唆を受け、チェンバロをはじめ様々な鍵盤楽器を演奏。アンサンブルでは鍵盤楽器のみならず、打楽器や声、民族的楽器などを使ったパフォーマンスなども行うが、主に、モダンピアノ、イギリスの初期スクエアピアノ、フォルテピアノによるコンサートを行っている。2005年より「交響曲を連弾で」シリーズを開始。武久氏とのピアノ連弾で作曲家自身のピアノ連弾版編曲によるシンフォニーの演奏を続けている。2005年5月より「ピアノ連弾講座」を開始。2010年日本人楽器製作家の手による初期ブロードウッド社をモデルとしたフォルテピアノを使用してのコンサートを開催。現在進行形で鍵盤楽器の音楽に情熱を傾けている。
幼少時代
幼少期に住んでいた街にはパイプオルガンが多数ありました。身近にもリードオルガンやハーモニウムといった小型オルガンが玩具の一部として存在していたので音色や鍵盤には親しめる環境でした。3歳からピアノや音感教育を習いはじめ(その時には既に絶対音感があった)5歳からはピアノのタッチや演奏について熱心に研究されていた先生につきました。実はその先生の本職はパイプオルガン奏者で音大のオルガン科の教授でした。そのせいか幼稚園児の私に対してもバッハやヘンデルなどの曲を徹底的に、1音の妥協もなく指導して下さいました。(後には感謝しましたが、その時は泣くほど辛かった!(笑))
紆余曲折
その後、小学校高学年からの音楽生活は、甚だしい紆余曲折を経験し、フォークやロックやジャズ、キューバンレゲエまでかじったり、自分で市民オケを創立したり、訳あって音楽を放棄したりと、おそらく今の私からは絶対に想像しては頂けないほどの奔放ぶりでした。しかし、幸いにも寛大で善良な指導者や先導者や仲間に恵まれて、何より音楽そのものの存在に救われて、そのすばらしさを何度も強く再認識しながら今日に至ることができています。そして、多くの選択肢の中からクラシック音楽を自分で選択してきたという思いがあります。
古楽そしてピアノ
20代後半で新しいスタートを切ったとき、今までよりも広い世界からピアノという楽器を考えられるようになりました。ちょうどその頃、もともと音色は好きであったチェンバロやパイプオルガンに惹かれ、古楽や宗教曲の魅力を味わう機会が持てました(この時、絶対音感が苦労の種となり、古楽器のピッチの差に大混乱だった)。その頃、友人の紹介で鍵盤楽器奏者の武久源造氏と出会い、その後暫くしてから、武久氏の活動のお手伝いをすることとなり、様々な鍵盤楽器に実際に触れることができました。
新しい古楽!の世界は繊細ですぐさま魅了されて没頭しました。と同時に、それらを背景としたピアノという楽器やピアノで創れる音楽にも興味が掻き立てられて行きました。運よく私を理解してくださる指導者の下で思考と実践を重ねることができたおかげで、ピアノの指導と演奏について自分なりの方向を創り出せて来たと思っています。
鍵盤楽器の進化とともに
常日頃から独奏楽器としてだけでなくアンサンブル楽器としての魅力も強く感じていましたので、他楽器とのアンサンブルや「ピアノ連弾」を活動の重要な部分と位置づけています。時代とともに楽器の使われ方が変化していくことや環境が楽器を作っていった歴史にも興味があります。各時代の曲に合った楽器を使いたいという考えで数種の鍵盤楽器を演奏しています。
希望
50代に突入していくらか理解力や創造力が育ったような気もしていますが、音楽的には今後更に精進を重ねる必要性を強く感じている昨今です。常に道半ばの焦りを感じつつも今後も前向きに活動していきたいと意欲は膨らんでおります。