ピアノ→チェンバロでの驚き
私達は子供の頃にJ.S.バッハのシンフォニアや平均律曲集などを「ピアノ」で習いました。その時、多声部の音楽を表現するために、ピアノの特性である強弱を巧みに使いつつ、わからないように軽いペダルを使ったり、チェンバロ時代の味わいの痕跡を出すべく一部にノン・レガートを使ったりしながら弾くようにしました。もちろんピアノで演奏する場合にはそれが正しい方法でしょう。
しかし、「チェンバロ」に出会って、各種の研究や歴史的な考察や実践に基づいて演奏しようとしたときに、ピアノで習ってきたものとの違いに愕然としたのです。
かつて私が初めてチェンバロを習い始めたとき、楽器から聴こえてくるものが想像をはるかに超えていて、しばしば全く演奏不能に陥って立ち往生したものです(笑)。まるで音が裸になったかのような純粋な響き、1つ1つ自分に突きつけられるような明白な発音と、自立して雄弁に語る音に驚いてしまったのです。
昨今、チェンバロが多数存在するようになって、ピアノと同様の弾き方で演奏しているのをテレビなどで見ることがありますが、とても残念です。チェンバロの特性を活かす演奏をして欲しいと思います。
交差弦と平行弦での多声部表現
先ほど「ピアノ」で多声部を表現するときのことを書きましたが、チェンバロからフォルテピアノまでの楽器を使用すれば、その部分は全く苦労がいりません。正確に言えば、交差弦ではない平行弦の楽器ならば、声部の違いをピアノよりはるかに如実に具体的に表現することが可能だということです。
それはなぜでしょうか。
楽器の全長をコンパクトにして、そして音に深みと良い意味の曖昧さと迫力を出すために、ピアノは交差弦になっています。ピアノの中を覗くと、弦が斜めに張られていて、低音部の弦と高音部の弦がクロスしているのが見えるでしょう。これが交差弦の張り方です。
チェンバロやフォルテピアノの中を覗く機会がありましたら、この弦がクロスしているか平行に並んでいるかをよく見てください。これらの楽器はストレートに弦が張られていて、音程に関係する部分は平行に張られています。
この違いによって声部が表現しやすくなるのですが、まだ解答にはなっていませんね。
響板を独占か共有か
ここからが肝心な所です。この弦の張り方によって響板の使い方が違ってくるということを考えてみましょう。
響板というのは弦の下に見える一枚の板です。弦からこの板に伝わる振動を増幅して楽器全体に響かせて豊かな音にする、言うなれば楽器の要の部分です。この板は、表面は平面に見えますが、裏は微妙な厚さの変化があり、どこを厚くしてどの辺を薄くするのかなどの削り方については、多くの場合企業(製作家)秘密になっています。鍵盤楽器個々の音を決める重要な部分なのです。
先ほどの問題にもどりますと、弦がストレートの場合、各々の弦がそれに対応する響板の一部を独占していて響きも固有のものになりますが、交差弦の場合は交差している多数の弦が響板を共有している状態なので、音がおだんご状態で響きます。それが包まれたような深い響きになるとも言えるのですが、多声部の音楽には向いていないのです。音がおだんごになるのを承知で、なんとか多声部を出そうとすると強弱と音の立ち上がりや長さといった様々なことで工夫しなければなりませんし、作曲当時に近い雰囲気を出すことはできません。
ただし、時代の流れを考えれば、音楽的要求の変化に応じてロマン派の時代に今の姿が完成したピアノの役割と重要性を多声部音楽への向き不向きで一概に片付けてしまえるものではありません。
さて一方のストレートな弦の楽器では、適切な方法で普通に弾けば多声部になって聴こえます。ですから声部の横の動きや繋がりを把握しさえすれば、より活き活きした音楽表現をすることが可能です。「弾く」ことに大量のエネルギーを取られずに「音楽」をする余裕が生まれてきます。この差は大きいと思います。
弦の張り方と音の存在感
また、長い音と短い音の聴こえ方が、ピアノとチェンバロでは逆になるという感触も持っています。音の存在感という問題なのですが、ピアノでは細かい音を連続して弾いている場合、それぞれがみんなお団子になるのでうるさい(笑)という感覚がありますが、チェンバロは音が響板の各部分に分かれて独立した感じですから、短く細かく弾けばそれだけ存在感がすぐに次の音へと移ってしまうのです。従ってピアノのようなうるささは感じられません。ただし、もちろんそれなりの弾き方をしなければガシャガシャと鳴りますから、適切に弾いた場合のことですよ。
ピアノとチェンバロの弦の張り方による響板使用の違いという点に注目して書いてみました。それぞれの特性を知って多声部の音楽に親しんでいただければと思います。