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2022年11月25日(金)〈スクエアピアノ コンサート〉ご案内
コンサートのお知らせです!!!
2022年11月25日(金) 19:00~
山川節子の箱型洋琴シリーズ その2
〈スクエアピアノの味わい〉
場所:紀尾井町サロンホール
昨年に続き、今年もスクエアピアノのコンサートを行います!
楽しみがたくさんある会なので何から話していいのやら♡
とにかく私もワクワクしています!
まずは、楽器。
なんとスクエアピアノが2台。
どちらも1810年代にイギリスで作られた由緒ある楽器で大変美しい。
しかも、2台ともフィンチコックス楽器博物館に展示されていたものです。
1台はジョン・ブロードウッド社製、
もう1台はクレメンティ社製。
楽器それぞれの特徴や独特の音色の聴き比べも楽しいです!
何しろこの2台がともに並ぶのはとても珍しいことなので、
このチャンスをお聴き逃し無く!
そして、曲目。
J.L.ドゥシーク(ドゥシェックとも)とM.クレメンティのみに絞り、
1791年~1799年に的を絞って選曲しました。
フランスのマリー・アントワネットの許に居たドゥシークが
フランス革命の争乱から逃れてイギリスに渡ったのが1791年。
一方のクレメンティは既にロンドンで大活躍していた時期。
ともに楽譜出版、楽器製造、演奏、教育に携わり、
個性と才能を発揮した1790年代の二人。
その作品から、スクエアピアノの音で活き活きと表現できる曲を
選びました。
ドゥシーク/ カンツォネッタ、アデュー、ソナチネ、ソナタ Op.31-2、
クレメンティ/ フーガ、カプリッチォ、ソナタ Op.37-3
二人の個性、ピアノの使い方、19世紀に突入する時期の感性などに
興味を持っていただけたらと思います。
また、その後のベートーヴェンをはじめ、ロマン派の作品に見られるアイディアや試みが、
既にこの二人によって試され、盛り込まれているのがわかりますから
それを見つけながら聴いていただくのも楽しいでしょう。
とにかく、ご自分の目で確かめ、実際に耳で生音を聞かないことには
この面白さはわかりません。
是非是非ご来場くださり、体験してみてください。
どうぞよろしくお願い致します。
ご予約・お問い合わせは下記
y-hakogata@gmail.com
までメール(一番確実です!)でお願いします
。
紀尾井町サロンホール
千代田区紀尾井町 3-29 紀尾井町アークビル1F
東京メトロ
・有楽町線「麹町」1番出口 徒歩4分
・有楽町線「永田町」9A、9B出口 徒歩4分
・銀座線・丸ノ内線「赤坂見附」D出口 徒歩10分
JR
・JR中央・総武線「四谷」麹町口 徒歩15分
・タクシーの場合は
「都市センターホテル」などの
近隣施設を目印にしてください。
・お客様用駐車場はありません。
2022年11月2日
コンサートご案内のつづき
前回のコンサートご案内のつづきです。
2021年11月12日(金)19:00~ 紀尾井町サロンホール
「山川節子の箱型洋琴シリーズ その1」
クレメンティが作ったピアノで聴く
~麗しのソナチネ~
チケット(5000円)ご購入方法
クレジットでご購入の方は https://setsuko-y.stores.jp
メールでお申込み、お問合せの方は concert123square@gmail.com
この楽器との出会いをざっとお話ししましょう。
クレメンティの工房で1810~15年ごろに、特別な材料を使い、手の込んだ装飾を施した特注の楽器が製作されました。それが今回の美しい楽器です。時は流れて、この楽器は1960年代ごろから長いことイギリスのフィンコックス楽器博物館に展示されていました。しかしその博物館の閉館が決まり、2015年にそこで仕事をしていた修復家の太田垣 至氏の手に委ねられることになり、はるばる日本へと運び込まれました。
ある時、私が太田垣氏の工房にお邪魔すると、外装は美しいものの、ほこりをかぶったこのピアノがありました。弦もボロボロでまともな音はでませんでしたので、一見して帰ろうとしましたが、なぜか後ろ髪をひかれるような思いが起こりました。
その時です!ご一緒していた武久源造さんが大きな声で「この楽器は山川さんの所にいくべきだよ!」とおっしゃったのです。
「べき」とは何か?なぜこの楽器なのか?音も出ないのに?と一瞬たじろぎましたが、後ろ髪を引っ張られた私としては、考慮せざるを得ません(笑)。
もちろんそれから何日も考えたし、もう一度見に行ったり、叩いたり、なでたり、楽器と以心伝心できるかなと触ってみたりして、さんざん迷って考えた末に、購入することを決めました。それが2016年のこと。それから修復をお願いして、できるだけ元の部品を使ってオリジナルに近い状態での復元をお願いしたところ、太田垣氏が見事に音も装飾も蘇らせて下さり、演奏可能な状態になりました。響板の修復などは、イギリスとは違う日本の気候を考えてじっくり時間をかけて修復してくださいました。そのため、私の手許に届いたのは半年以上経過した2017年の2月でした。
誕生からすでに200年以上の時が流れていました。長い長い旅路を経てきた楽器の、深く醸成された音に包まれるひと時を是非お楽しみください。
昨今のコロナ流行による異常な緊張感、やるせない気持ちなどを緩めて、人間的に戻れるひと時のコンサートになると思います。
会場の地図は前の記事に入れましたので、クレジットで買えるストアーズstoresへのQRコードを入れます。どうぞご利用ください。ページが開きましたら、チラシをクリックしてください。
御来場お待ちしております。
2021年10月29日
ピアノを円運動で弾く
ピアノを習うときにこのようなことをよく言われます。
「指を強くしましょう」
「手のひらは卵やボールをつかむような形にしましょう」
「手首はやわらかく、肘や腕は落とさないようにしましょう」
などなど微細に渡る注意を払ってきますが、そのことの本質と具体策をより深く考えたく思っていました。
そして自分も生徒もそのことをよりわかりやすく、効果的に実践できる方法はないものかと色々と試みてきました。楽器の側からも考えを進めることによって、演奏における自由度を広げようとも考えています。
レッスンでは最初歩から成長に応じて腕や指のことと音楽や楽器をより深く結びつけることに取り組んでいくのですが、それに於いて多くの経験を経てようやく最近、自分が考えたり試行錯誤してきたことに一本の道が見えてきました。果てしないけれど力強く歩める道だと思います。
楽器から学ぶ
幸いにもチェンバロやオルガンやフォルテピアノなどと深く関わることができて、その上でピアノを考えられる環境にいます。鍵盤の見た目はどの楽器においても所謂「白鍵」と「黒鍵」が並んでいることに違いはないのですが、発音機構には各楽器で見た目から想像をはるかに超えた大きな違いがあるために、それぞれのテクニックが必要になります。
特にチェンバロからフォルテピアノに移行したとき、フォルテピアノからモダンピアノに発展してきたときには、新しい楽器へ対応する必要がありました。そのため多くのメソードが書かれ、楽器を扱うためのマニュアル的な練習方法が開発されてきました。それが最良かどうかはともかく、テュルク、クラーマー、クレメンティ、ツェルニー、リストなどなどあげたらきりがない先人たちが練習方法と奏法を考案してきたのです。
いくつかのメソードに従ってフォルテピアノを練習してからモダンピアノに行きついてみると、腕や体の使い方の違いに本当に驚かされます。
言葉としては「昔は腕を使わなかった」とか「ベートーヴェン中期で腕を動かし始めた」とか子供の頃から聴いたことではありますが、「こういうことだったのかぁ」という実感は歴史的な楽器を経験したおかげでつかめたものです。そのことを少しでも分かりやすく多くの方に伝えていけたらと思っています。
ハンマーが鳴らしダンパーが止める
ピアノは「鍵盤」に加えた力が「中間レバー」を突き上げ、とても大事な「エスケープメント」という部分などを経て「ハンマー」というものに伝えられます。合理的な仕組みによってハンマーは跳ね飛んで行き「弦」に当たります。弦はハンマーが当たったことによって振動して音が鳴ります。ハンマーはすばやく元の位置にもどります。
指が鍵盤から離れて力を加えなくなると、「ダンパー」というものが振動して鳴っている弦を押さえ込んで強制的に振動を止めます。それで音が止まります。
(メカニックについては今後詳しく解説する機会があると思います)
ピアノは円運動
鍵盤から弦に至るまでの力の伝わり方を考えると、例えばチェンバロは、弦をはじく瞬間は爪が垂直方向から弦に触れていきます。それが引っかかってはじけてまた下がってくるという発音動作を支えているジャックは上下に動くので円運動ではありません。
いかに強力に力を加えていくかというものではなく、爪が弦をはじく瞬間をいかにデリケートに指が感じるかということのほうが重大事だと思われます。
ところが、ピアノは鍵盤から弦までのほぼ全てが円運動をしており、ハンマーをどのような勢いで跳ね上げるかを力加減とスピードで調節しているのです。
少し横道にそれますが、私はこの指の感じ方を通じて、フォルテピアノの中期頃に楽器と奏者の立場が入れ替わったようだと感じています。それは錯覚なのかもしれません。やはり楽器から受けるものは大きいに違いないし、楽器を感じながら弾くことは確かにあるのです。でも楽器からのベクトルの一部が、奏者側からのベクトルに取って変わった部分が存在していると思わずにはいられませんし、そう思うことが錯覚なのだとしたら、そのような錯覚を起こさせる楽器に変化あるいは進化して来たと言えるのではないでしょうか。
ここは小さいようでいてかなり重要な問題です。モダンピアノを弾く人の多くにこの錯覚があって、「つもり」や「夢」というようなものが大きくなりすぎることがあるのです。音はもちろん聴こえていても「つもり」によって耳が慣らされてしまい、奏者には主体的な思い込みによって矯正された音が聴こえてしまうというような状態です。吾が身も含めて自嘲したい点です。
円運動に話しを戻しましょう。ピアノの中身、つまりメカニック部分は円運動でありますから、そこに力を加える腕から指などの一連の動きも円運動を意識した動きをするべきだと思います。鍵盤にぶつかるでもなく叩くでもなく円運動の一部として力を加えられる動きとはどんなものでしょうか。肩甲骨から肩、腕、ひじ、手首、てのひら、指のそれぞれの関節、指先に至る動きと力の入れ方を繰り返し確認して考えていくべきです。
レッスンの際には、それが「音楽をしたい」気持ちを自由に解放する鍵だと思って試みています。また、日本人特有の体の動きというものにも注目しています。指については、鍵盤に与える勢いとスピード、離すときの音の止まり具合と次の音への移行にデリケートな注意力を要します。総合した動きと試行によって各人が持つ「音楽」が空間へと解放されていきます。
個々の部位の動きは、私の拙い文章能力ではとても表しきれませんが、腕全体としては大きな車輪をイメージして(あくまでもイメージです)動かして頂けたら、音楽に一つの風を吹き込んでいけると思います。
2011年7月25日